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六本木がビジネスの街になった経緯とは?

    記事134_1国際的な環境にアクセスの良さなど、多くの面で東京のビジネスシーンを先導している六本木。すでにさまざまなビジネスが発展している場として周知されていますが、改めてどんな場所であり、どのような経緯でビジネスの街になったのか、ご紹介したいと思います。

    アメリカ兵の街から日本の若者の街へ

    明治時代、たくさんの兵隊が暮らす軍隊の街であった六本木。終戦(1945年)後アメリカ軍が進駐してくると、「ハーディバラック」と呼ばれる兵舎が立ち並び、ここに暮らすアメリカ人のための店が増えていきました。しばらくは日本人が立ち入りにくい場所となっていた六本木ですが、朝鮮戦争(1952年)が終わる頃にはアメリカ人も減り、日本人も徐々に住み始めるようになります。

    1959年、米軍施設が日本に返還されると、「日本教育テレビ」(現在のテレビ朝日)が六本木に進出。テレビ局がこの土地に入ったことで、テレビに関連するさまざまな人々やサービスがここに集い、その盛り上がりを知った人々が六本木に憧れを持ち、足を向けるようになりました。この時、六本木の変化をいち早く嗅ぎ取ったのは、時代の変化に敏感な若者たち。彼らによって夜遅くまで若者でにぎわう街ができあがったのです。

    森ビルが先導となった六本木の開発

    さて、六本木の盛り上がりは歴史的な背景もありますが、近年における発展には、「森ビル」(森ビル株式会社)の存在がはずせません。高層オフィスビルが立ち並ぶ六本木ですが、事業主はこの森ビルという企業です。急成長を遂げた日本の都市開発は経済的な視点を重視するあまり、人として豊かに暮らすことをおざなりにしてしまいがちでした。森ビルが行った国内最大規模の都市再開発のテーマは、豊かさ、文化、対話、そして次の時代へのヴィジョンを重要視すること。2003年・六本木ヒルズのオープン以来、年間4,000万人以上の人々が訪れ、街はさらなる発展を遂げようとしています。

    参考:森ビル株式会社 森ビルについて 歴史・沿革
    https://www.mori.co.jp/company/about_us/history.html

    次世代の人々が求めるビジネスの街、六本木

    記事134_2六本木はさまざまなビジネスが集う経済の街です。しかし、それはただ単純に経済を回し、人々がお金を稼ぐだけの目的で成り立っている場所ではない、ということがご理解いただけると思います。今後もこのテーマは六本木で発展するビジネスに大きな影響を与え続けるでしょう。

     

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